今でこそ明るくてきれいな建物に生まれ変わっている労働局だけれど、2005年当時はちょうど工事中。気分が滅入りそうな、小さな薄暗い一室に、外国人がこれでもかというほど溢れかえっていた。番号札をもらって順番待ち。周りを見回すと、実にいろんな国からの人がいることがひと目見て分かる。今日、この時間だけでもこれだけの外国人が労働局に来ているということは、パリには一体合計どれだけの外国人がいるのだろう・・・?つくづく思った、パリは外国人の存在なしでは語れない、ということを。ただ、その外国人についてフランスが抱える問題もとても大きい、ということを。
ふと、隣の女の子から声をかけられた。「ものすごい待ち人数ね」。同じフランスに滞在する外国人同士、妙な仲間意識があるのか、目が合うとにっこりしてくれる人がちらほら。実は私、こういう小さなことが結構嬉しかったりする。
あまりにも待ち人数が多くて、普通だったらここはうんざりするべきところなのかもしれなかった。でも、私は働き始めることが嬉しくてそんなこと全く気にならず、今後のフランス生活についていろいろ考えていたら、あっという間に自分の番号が呼ばれた。実際には、結構長時間待たされていたのだけれど(笑)。
ちなみに、番号を呼ぶのは、ピンコーンという電光掲示板でもなく、機械の音声でもなく、受付の人たちだった。いくつかの窓口があるので、何番まで呼んだか分からなくなり、窓口の人同士で「どこまで呼んだ?」と聞きあっているシーンも。日本社会で育った私にとって、この原始的なシステムには思わずにんまり。
ふと、隣の女の子から声をかけられた。「ものすごい待ち人数ね」。同じフランスに滞在する外国人同士、妙な仲間意識があるのか、目が合うとにっこりしてくれる人がちらほら。実は私、こういう小さなことが結構嬉しかったりする。
あまりにも待ち人数が多くて、普通だったらここはうんざりするべきところなのかもしれなかった。でも、私は働き始めることが嬉しくてそんなこと全く気にならず、今後のフランス生活についていろいろ考えていたら、あっという間に自分の番号が呼ばれた。実際には、結構長時間待たされていたのだけれど(笑)。
ちなみに、番号を呼ぶのは、ピンコーンという電光掲示板でもなく、機械の音声でもなく、受付の人たちだった。いくつかの窓口があるので、何番まで呼んだか分からなくなり、窓口の人同士で「どこまで呼んだ?」と聞きあっているシーンも。日本社会で育った私にとって、この原始的なシステムには思わずにんまり。
契約書のサインや挨拶が終わり、いよいよ実際に仕事を始めることになった。ところが、ふと、疑問に思ったことが一つあった:確かに契約書は交わしたけれど、すぐに働き始めてもいいのか?
ワーキングホリデーで働くときも、学生ビザで一時労働をするときと同じように、労働局に申請しなければいけないはず。(※現在は、学生の一時労働については2005年当時とは手続き方法が異なる。)このままでは違法になってしまう。ワーキングホリデー制度の仕組みを知らない雇用主はまだまだ多く(それでもパリはまだ知られているほうで、地方になると知らない人はもっと多いらしい)、雇用主も本人もそんな気はさらさらないのに、違法労働になっていた、なんていう話も耳にしたことがある。それだけは避けたい会社側と私。
後になってトラブルになってはいけないと思い、疑問を口に出してみたところ・・・やはり会社側は契約書があれば問題なく働けると思っていたようだ。
違法になってはマズイ、ということで、その場ですぐに書類を持って労働局へ向かうことになった。幸いパスポートは手元にあったし、その他必要なものはすぐに用意できた。仕事仲間たちの「急がなくていいから・・・待ってるね」という言葉がなんだか嬉しかった。目指すは、10区のメトロJaurès駅!
ワーキングホリデーで働くときも、学生ビザで一時労働をするときと同じように、労働局に申請しなければいけないはず。(※現在は、学生の一時労働については2005年当時とは手続き方法が異なる。)このままでは違法になってしまう。ワーキングホリデー制度の仕組みを知らない雇用主はまだまだ多く(それでもパリはまだ知られているほうで、地方になると知らない人はもっと多いらしい)、雇用主も本人もそんな気はさらさらないのに、違法労働になっていた、なんていう話も耳にしたことがある。それだけは避けたい会社側と私。
後になってトラブルになってはいけないと思い、疑問を口に出してみたところ・・・やはり会社側は契約書があれば問題なく働けると思っていたようだ。
違法になってはマズイ、ということで、その場ですぐに書類を持って労働局へ向かうことになった。幸いパスポートは手元にあったし、その他必要なものはすぐに用意できた。仕事仲間たちの「急がなくていいから・・・待ってるね」という言葉がなんだか嬉しかった。目指すは、10区のメトロJaurès駅!
すぐに、副社長から、契約書の内容と勤務についての詳しい説明を受けることになった。もちろん、全てフランス語。大切な書類だから、しっかりと理解しなくてはいけない。
指で文章をなぞりながら読み上げ、その中で難しい単語があると、わざわざ中断して私が理解しているかどうか確認してくれた。何しろ契約書なので、普段の会話では使わないような難しい単語がいくつか出てきた。分からない単語については、嫌な顔ひとつせずに別の単語を使って私が理解するまで説明してくれたのだけれど、これは当たり前のことのようで、なかなか出来ないこと。そのおかげで最後までしっかり理解することができ、何の疑問もなく契約書にサインすることが出来た。パリで自分自身で生計を立てていかないといけない私は、嬉しい配慮のお給料に感謝の気持ちでいっぱいだった。
その後、副社長がみんなに私を紹介した。「今日から働くちはるだ。彼女は今日からココに配属になるから」。「しある」「しある」と私の名前を繰り返す彼女たち。やはり「ちはる」は発音しにくいみたい(笑)。
挨拶をする私に、それぞれが自己紹介をしてくれた。日本で私が就いていた仕事とは職種が違うせいもあるのだろうけど、日本の職場よりフランクな印象を受けた。職場であっても、同僚に関しては下の名前で自己紹介という点からして、私にはとても新鮮だ。
契約書のサインや自己紹介を終え、やっと実感が湧いてきた。私は、ここで働くのだ。ワーキングホリデーなので期間限定とはいえ、社員として働けるのだ。とにかく嬉しかった。
指で文章をなぞりながら読み上げ、その中で難しい単語があると、わざわざ中断して私が理解しているかどうか確認してくれた。何しろ契約書なので、普段の会話では使わないような難しい単語がいくつか出てきた。分からない単語については、嫌な顔ひとつせずに別の単語を使って私が理解するまで説明してくれたのだけれど、これは当たり前のことのようで、なかなか出来ないこと。そのおかげで最後までしっかり理解することができ、何の疑問もなく契約書にサインすることが出来た。パリで自分自身で生計を立てていかないといけない私は、嬉しい配慮のお給料に感謝の気持ちでいっぱいだった。
その後、副社長がみんなに私を紹介した。「今日から働くちはるだ。彼女は今日からココに配属になるから」。「しある」「しある」と私の名前を繰り返す彼女たち。やはり「ちはる」は発音しにくいみたい(笑)。
挨拶をする私に、それぞれが自己紹介をしてくれた。日本で私が就いていた仕事とは職種が違うせいもあるのだろうけど、日本の職場よりフランクな印象を受けた。職場であっても、同僚に関しては下の名前で自己紹介という点からして、私にはとても新鮮だ。
契約書のサインや自己紹介を終え、やっと実感が湧いてきた。私は、ここで働くのだ。ワーキングホリデーなので期間限定とはいえ、社員として働けるのだ。とにかく嬉しかった。
面接の2日後が、私のフランスでの社会人デビューの日となった。11年前に初めてフランス旅行に来たときからお客さんとして訪れていたところで、今度は自分がお客さんを迎え入れることになったのだ。
興奮しすぎて、目覚まし時計の設定時間よりもしっかり早起きをしてしまった私は、かなりの余裕を持って家を出た。早く到着したので、職場の近くのカフェでエスプレッソを飲むことにした。白いシャツに黒いズボン、黒いエプロンをつけたムッシュたちがきびきびと働く、気持ちのいいカフェ。「よい一日を!」と笑顔で見送られ、こちらも自然と笑顔になった。カフェのムッシュたちに「よしっ、頑張ってこい。リラックス!」と背中をポンと押してもらった気分になり、緊張が少しほぐれた気がした。
職場に入ると、私の顔を見るなり、みんなはアッという顔。「やっぱりあなただったのね!」そこにいたのは、履歴書を直接持参したときにすでに顔を合わせていた人たち。新しい人が来る、と知らされていただけで、彼女たちはそれが誰なのかは知らなかったそうだ。
私はどちらかというと度胸が据わっているほうだと思うのだけれど、そんな私でも、外国人として外国で働くことに不安もあった。けれど、このときのみんなの笑顔にそんな不安はいっきに吹っ飛んだ。包み込むように迎え入れてくれて、心からほっとした。「よかったわね、ここで働けることになって!」という彼女たちに、心からの感謝の気持ちを込めて言った。「あなたたちのおかげです!」
本当にそうなのだ。社長に私の履歴書をFAXする際に「よい印象」と書き添えてくれていたり、電話で「とてもやる気のありそうな子だった」と社長に言ってくれたり。まさに、みんなのおかげ、だったのだ。
興奮しすぎて、目覚まし時計の設定時間よりもしっかり早起きをしてしまった私は、かなりの余裕を持って家を出た。早く到着したので、職場の近くのカフェでエスプレッソを飲むことにした。白いシャツに黒いズボン、黒いエプロンをつけたムッシュたちがきびきびと働く、気持ちのいいカフェ。「よい一日を!」と笑顔で見送られ、こちらも自然と笑顔になった。カフェのムッシュたちに「よしっ、頑張ってこい。リラックス!」と背中をポンと押してもらった気分になり、緊張が少しほぐれた気がした。
職場に入ると、私の顔を見るなり、みんなはアッという顔。「やっぱりあなただったのね!」そこにいたのは、履歴書を直接持参したときにすでに顔を合わせていた人たち。新しい人が来る、と知らされていただけで、彼女たちはそれが誰なのかは知らなかったそうだ。
私はどちらかというと度胸が据わっているほうだと思うのだけれど、そんな私でも、外国人として外国で働くことに不安もあった。けれど、このときのみんなの笑顔にそんな不安はいっきに吹っ飛んだ。包み込むように迎え入れてくれて、心からほっとした。「よかったわね、ここで働けることになって!」という彼女たちに、心からの感謝の気持ちを込めて言った。「あなたたちのおかげです!」
本当にそうなのだ。社長に私の履歴書をFAXする際に「よい印象」と書き添えてくれていたり、電話で「とてもやる気のありそうな子だった」と社長に言ってくれたり。まさに、みんなのおかげ、だったのだ。
まさかその場で採用の結果をもらえるなんて思ってもいなかったので、かなり驚いた。そしてその後、すぐに社長が言った言葉にまた驚いた。
「お給料はいくら欲しい?」
へっ!?お給料ってそっちが決めるもんじゃないの!?
「お給料って私が決めるんですか?」
「そうだよ」
「日本では自分で決めないので、決めて下さい」
社長は笑いながら言った。
「ここはフランスだよ、決めていいよ」。
そうだ、ここはフランスだ。困った。そりゃたくさん欲しいというのが本音だけれど、厚かましいことは言っていられない。私を採用してくれただけでもありがたいのだから。
私は、SMIC(最低賃金)でいいと言った。社長は驚いた表情で言った。
「でも、パリで一人で生活していかないといけないんだろう?家賃も食費も、たまには友達と遊ぶお金も必要だろう?」
「はい、でも・・・」
確かに、SMICでは生活が苦しい。高い家賃と食費だけで精一杯で、遊ぶお金なんてとんでもない。きっと日本の貯金に手をつけないといけなくなるだろう。けれど、厚かましいことは言えない。私は困った。
考えこむ私を見て、社長は副社長と早口で何やら話し合い、私のお給料を決定したらしかった。あとで契約書にサインをするとき、書面に書かれたお給料を見てびっくりした。それは社長たちの心温かい配慮だった。SMICでいいと言った私だったのに、ちゃんと普通に生活していけるだけのお給料にしてくれていた。
「フランス企業で社員としてフルタイムで働き、その稼ぎだけで生活する。日本の貯金には手をつけない」が達成できる!! 1996年に初めてフランスを訪れたときに足を運んだブティックで、約10年後の自分が働くことになるなんて思ってもみなかった。
「お給料はいくら欲しい?」
へっ!?お給料ってそっちが決めるもんじゃないの!?
「お給料って私が決めるんですか?」
「そうだよ」
「日本では自分で決めないので、決めて下さい」
社長は笑いながら言った。
「ここはフランスだよ、決めていいよ」。
そうだ、ここはフランスだ。困った。そりゃたくさん欲しいというのが本音だけれど、厚かましいことは言っていられない。私を採用してくれただけでもありがたいのだから。
私は、SMIC(最低賃金)でいいと言った。社長は驚いた表情で言った。
「でも、パリで一人で生活していかないといけないんだろう?家賃も食費も、たまには友達と遊ぶお金も必要だろう?」
「はい、でも・・・」
確かに、SMICでは生活が苦しい。高い家賃と食費だけで精一杯で、遊ぶお金なんてとんでもない。きっと日本の貯金に手をつけないといけなくなるだろう。けれど、厚かましいことは言えない。私は困った。
考えこむ私を見て、社長は副社長と早口で何やら話し合い、私のお給料を決定したらしかった。あとで契約書にサインをするとき、書面に書かれたお給料を見てびっくりした。それは社長たちの心温かい配慮だった。SMICでいいと言った私だったのに、ちゃんと普通に生活していけるだけのお給料にしてくれていた。
「フランス企業で社員としてフルタイムで働き、その稼ぎだけで生活する。日本の貯金には手をつけない」が達成できる!! 1996年に初めてフランスを訪れたときに足を運んだブティックで、約10年後の自分が働くことになるなんて思ってもみなかった。




